【ギャンブル】カウンセリングへ行ってみた①
こんにちは、KIN(兄)、GIN(弟)の母です。いつも応援してくださりありがとうございます。
回復の方向を必死で求め右往左往した体験を書きます。
まずは県の相談窓口にたどり着き、閉鎖された空間に外部の空気が流れ込みました。そこから少しづつ外部に助けを求めることができました。家族だけの構図が壊された時でした。
7年前のKIN(兄)の多額の借金と家族のお金の使い込みは信じがたく、KIN(兄)の赤字ばかりが印字された通帳と家族の通帳から消えた金額の大きさに驚くばかりでした。
本当に突然の天変地異でした。大学卒業後地元で地域を支える仕事に励んでいるとばかり思っていました。共に生活しながら全く気付くことがなかったのです。KIN(兄)の結婚を待ち望んでいただけでした。
自然災害なら地域での共有がありますが、ギャンブル依存症は突然大きな力で襲い掛かり、共有共感もありません。できたら周囲に知られたくないと考えます。大惨事を家族だけで抱え込んでしまいます。
ギャンブル依存症について全く知識もありませんし、相談できる知人もいませんでした。無防備で大嵐に放り出された状態でした。
【ギャンブル】GIN(弟)の情報戦略
慌て、不安に委縮するばかりの私と違ってGIN(弟)は情報を集めていました。「入院治療」「通院」「カウンセリング」「家族の会」「ギャンブラーズ・アノニマス」「共依存」などの言葉がGIN(弟)の口から雪崩のごとくあふれ、私には言葉の意味も分からず、一層恐ろしさに震えました。
それでもKIN(兄)のために前に向かっていかなければならないことは分かりました。フルタイムで働いていましたから、仕事の時間を抜いて都合のつく時間にギャンブル依存症について調べ始め、少しづつ勇気を出して動き出しました。
ギャンブル依存症という凶悪な敵に対してはいつも勇気が必要です。私はいつもおののきながら、それでもKIN(兄)の存在が私を前に進めてくれます。GIN(弟)に尻を叩かれながら。
【ギャンブル 親】県の施設 カウンセラーのもとへ
GIN(弟)が調べてくれた県のカウンセリング施設に相談に訪れました。
そこは無料で相談に乗ってくれ、家族だけでもいいという話は当時の私には最もハードルが低く感じられました。実は電話予約さえも個人情報がどうかして漏れるのではないか、KIN(兄)の名前や住所が聞かれるのではないかと不安でした。
しかし簡単な予約で済み、車で1時間半ほどの場所へ掛けて出かけました。
1枚の書類に相談内容を書くことが求められましたが、詳しい住所もKIN(兄)の名前も求められず安心したことを覚えています。相談に乗ってくださったカウンセラーの方は70歳前後の男性で、私の話を聞いてくださった後「私も依存症だったんですよ。」とおっしゃいました。
初対面の相談員が急に身近な先輩に変わったようでした。
「今大変ですね。でも回復の時期が来ることを信じてください。こんなつらい経験が人生を深いものにしてくれます。」と別れ際におっしゃったのです。
その時はそれでもできたら人生浅いまま終わりたかったと思いました。
【ギャンブル】面談した感想と成果
今になってカウンセラーの方の言葉が少し分かります。相変わらずギャンブル依存症なんて大嫌いで、この病がなくなることを心から願っていますが、この病が私に人の闇を教えてくれていると思います。
闇の中の光の尊さが分かります。この相談員さんの言葉は今、私にとって光です。
自宅から車で1時間程度で行ける家族の会があること、長く続いている会であること、依存症本人が行かなくても家族だけでもいいこと、専門医がついてくれていて専門知識を授けてくれることなどを相談員さんから教えていただきました。
その後この臆病な私が出席させてもらうことになり、前回紹介させていただいた会です。
時間にすれば1時間程度の予定であるところを、少し私が伸ばしていただいたという風でした。規定時間がなければ私は心の不安を際限なく吐き出していたと思います。
カウンセリング施設は県の施設という割には時間の経過したこじんまりとした建物でした。薄暗くて沈んでいて威圧感は全くなくて寂しいけれどいつまでもいれるような場所でした。働いている方も少数のようで、姿を拝見したのは受付の女性とその相談員さんだけでした。
正直その時はその方のお名前も書き留めず、一度面談していただいたきりです。でも今もあの狭くて薄暗い部屋で静かに相談に乗ってくれているといいなぁと思います。
そして何年か後に感謝といい報告ができたら最高に嬉しいと思います。
【ギャンブル 親】家族の会へ参加するきっかけに
カウンセラーは家族の会を紹介して下さり終了しました。紹介された精神科の病院で夜開かれる家族の会が開かれていることはネットで知っていました。
しかし精神科のイメージの怖さとギャンブル依存症の恐ろしさを実感している私には参加することへの不安が大きかったのです。やはり勇気を振り絞る必要がありました。そこに相談員の方が「信頼できる所だ、行ってらっしゃい」と背中を押してくれたのです。
KIN(兄)に「家族の会に参加してみたい」「一緒に行かないか」と伝えました。
二人なら心強いと考えたのですが、仕事からの帰宅時間が遅くて間に合わないことを理由に断られました。
KIN(兄)は「精神科」そうか精神病なんだ、「ギャンブル依存症」そうか病人なんだと受け入れることができなかったと思います。
正直とてつもなく怖い言葉です。簡単に受け入れることはできません。
家族でさえもなかなか足が向きませんでしたが、そこで学んだことは大変貴重なものでした。家族の会で学んだこと、前に記した詳細を読んでいただけたら嬉しく思います。
【ギャンブル】市の施設 カウンセリングへ続く
県のカウンセラーから紹介された家族の会へと足を運んだ私は少しづつ日常を取り戻そうと努めるようになります。
ギャンブル依存症の特徴を学び、KIN(兄)への対応の仕方を変えようと努めました。叱るのではなく聞く、その大切さと難しさを学んでいます。それでギャンブル依存症が回復するほど甘くはありません。嵐の中で身を小さくする対処療法でしかありません。
KIN(兄)のギャンブルへの依存は続いています。
その恐ろしい体験も書くことができる時期を迎えていますので、回を改めて記します。その時はどうぞお付き合いください。
その恐ろしい思いの後、再びの絶望感に苦しんでいる時、GIN(弟)が新情報をくれました。県庁所在地でギャンブル依存症の治療を助ける窓口が新設されているというのです。
一度自分の無力を知ってしまった、また外部には専門家がいて有意義なアドバイスをくださると知った私は市の施設に予約を申し込みました。
次回記事でその体験を記したいと思います。良かったらどうぞお付き合いください。
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