ギャンブル依存症の反省
こんにちは、GIN(弟)です。
取り敢えず兄(KIN)の愚行が家族の知る所となった過程は今までご紹介した通り。
平常運転の基本姿勢は変わらない兄(KIN)であったが、家族からの叱責もあり、一応は一定の反省の姿勢を見せた。
これはギャンブル依存症の1つの特徴でもあり、ギャンブルをやってしまった後、さらに特に負けて損失を出した場合、罪悪感に苛まれると言う。
ただ、そこで止められないのが依存症である。
今度こそ止める!と決意したものの、そのあとまたギャンブルに行ってしまって、また後悔。これを繰り返す事で自分が自分を信用できなくなっていく。
兄(KIN)のケースも全くそれと同じ。
というか自分で反省して簡単にギャンブルを止められるのであればそれは依存症とは言わないのだろう。
何故ならギャンブルを自分でコントロールできる状況にあると言えるから。
家族会議で対策を発表
事態が判明した後、それでも家族皆で兄(KIN)と話をし、「今後どう対策を取っていくのか」の話をした。
その場でも幾つか案が出たのだが、事態発覚後の半月後、当時東京に赴任していたGINが東京から実家に帰ってくる機会ができた。その時に再度、家族会議(そんな大層なものでもないが)で話をすることになった。
夜の20時頃だったろうか、家の和室に家族が集まった。(高齢の祖父だけは既に就寝していたと記憶している。)
仕事帰りの兄(KIN)がスーツ姿で真ん中に座った。
広告の裏紙に手書きで、今後の対策、どうしていくかを一覧に書き、それを皆の前で読み上げていく。
その時は、先日のような「ベッドに横たわって聞く耳を持たず」といった姿勢ではなく、しっかり正座して、家族に対しても、自分に対しても真摯に向き合っていたと感じた。
真人間に戻る為に、幾つか項目が書かれていたが、メインとなる事項は以下3点。
- 給与口座を含め、お金の管理は母にお願いする。(自分に必要なお金は小遣い制とする)
- FXや株などが出来ないように、証券会社の口座を凍結する。
- 規則正しい生活と日々の運動をする。(自己コントロールと自制心を付ける)
これに加えてGINは各自の資産を毎月、確認し、家の中のどこかに掲示すべきだと提案した。
今回の問題点の1つに、こちらの記事でも記載した通り、家族内のお金の管理・コントロールを1人に任せ、他の人たちは全くノータッチだった事があると考えている。
お金の流れ・管理を完全にクリアにし、誰が・いつでも確認できるような状態にすべきだと考えた。
しかし我が家は古い家なので親戚付き合いなども多く、比較的来客が多い事もあり、人の目に触れる所にそういったものを掲示する事を良しとしない感があり、結局そこまでは実践されることはなかった。
GINが気になった点
また別にこの時に気になった事が2点ある。
1点目は基本的に「自責ではなく他責」にしていた傾向が見られた事。
例えば自分の手が届くところにお金があると使ってしまうから、母に預ける=誰か他の人が管理をしていなかったから今回の事態になった、と捉える事も出来るだろう。
本来は、自分の金なのだから自分で管理を前提とし、毎月の残高を家族に公表する等の対策が出ても良いのではないだろうか。
2点目、ギャンブル(特にパチンコ)を完全に止める、という話が出なかった事。
肝心な「パチンコを止める」という文言は含まれていなかった。
小遣いの範囲内であればやっても大丈夫(もしくはやりたい)という思いがあったのかもしれない。
兄(KIN)にとってやはりそこが一番大事なものであったのだろうし、当時はパチンコをしている事自体、家族の前で認めようとしなかった。
ギャンブル依存症が発するサインとは
とりあえず今回の家族会議では、兄(KIN)も一応反省はしているようだから、この約束事項を守って様子を見ようという方針になった。
前回に比べ、とりあえず正座して反省の色は見せているものの、話をしている最中、兄(KIN)がほとんど目を合わせようとしなくなった事に気が付いた。
世の中にはいろいろな家庭もあると思うので一括りにすることは出来ないが、まぁ普通の家族であれば目を見て話すだろう。
兄(KIN)も昔は相手の目を見て自信を持って話をしていた。
ところがギャンブルにハマり始めて、家族のお金を消費し始めた頃からだろうか、極力家族と顔を合わせずに1人で自室に閉じこもったり、1人で出かけていることも多くなった。
そりゃ、家族の金を勝手に使っていれば「合わせる顔もない」と言った所も理解はできるが。
今思うと様々な部分で変化に気づく事も出来たと思うし、兄(KIN)から発せられていたヘルプサインに気付くことが出来なかった家族にも責任があるのかと思う事もある。
徹底的な対策をしなかった
この時点でGINとしては、ギャンブル依存症の対策をしている専門の病院に行って、徹底的に対策をするべきだと考えていた。
ただ実際問題として、当時は親も仕事をしていたし、GINも東京へ赴任中、兄(KIN)も仕事をしておりそれぞれとても通院をする余裕などなかった。
当時、ギャンブル依存症の知識も少なく、家族の多くは、「兄(KIN)も反省したようだし、懲りて更生してくれるだろう」と楽観視していた。
今思うとこれがまた一つの地獄への始まりだったのだが・・・
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